自分の心の痛みに鈍感になっていると、他者の心の痛みにも気付けなくなります

夏休みが終わり、普段通りの生活が始まって早一ヶ月。

特にやらねばいけないことを抱えることもなく、特に外部からのストレスを感じることもなく、自分のやりたいことに集中して取り組む日々。
大学1年生のはじめから、常に何かに追われて日々過ごしてきたせいか、直近で背負うものが何もない状態で大学生活を過ごすのは初めてでよく分からず、とりあえず手当たり次第本を読むという生活を送っていました。

先日、書店に行ってたまたま手にとったのが
「反省させると犯罪者になります」という本。(詳細はこちら)

内容は割愛しますが、その文章の中にすごく心に響く一節がありました。
それは、「自分の心の痛みに鈍感になっていると、他者の心の痛みにも気付けなくなります」という言葉。

僕はこの言葉を見た時に「まずは自分を心から愛しなさい」と言われている気がしました。

自分の痛みに気付くということは、自分自身のことを本当に好きな状態で他者と接している人でなければと出来ないと思ったからです。聖書にも「隣人を自分のように愛しなさい」と隣人愛が説かれていますが、その言葉の前提には「自分自身を愛すること」があります。

もちろん、これは自意識過剰や自己陶酔など悪い意味のナルシシズムではありません。
自分の良いところや悪いところなど、全てをそのまま受け容れた上での自分を認めてあげ、好きになること。これが他者を愛し、他者を大切にし、さらには他者をより良くしていくことに繋がるのではないかと、この文章を読んだ時に感じました。

自分のことを愛していない状態で、他者のことを心から愛せるのか。
自分のことを大切にできていない状態で、他者のことを大切にできるのか。
自分のことを信じていない状態で、他者のことを本当に信じられるのか。

これを自分自身に問いかけた時に、いまの僕にはYESと即答できません。
どこかで、認めたくない自分がいるのだと思います。
そしてその認めたくない自分がいま、自分自身の行動を阻害しているような気がしています。

「出来ない」原因は殆どの場合、外部の環境ではなく自分自身の内部に顕在します。

「まずは自分で自分を認め、そして自信を持つこと。」
外部からの刺激云々ではなく、いまの自分にはこれがわずかに足りていないと思っているので、今一度言葉にし視覚化して、改めて努力していこうと思います。

「自分の心の痛みに鈍感になっていると、他者の心の痛みにも気付けなくなります」

人によって様々な解釈の仕方はあると思いますが、
ありのままの自分で、この言葉と向き合ってみてはいかがでしょうか。

話は変わりますが、明日からは8月上旬以来の非日常的な環境の下で色々やってきます。
大切にしたいものは絶対譲らずに、またあの素敵な仲間たちと一緒に頑張ってきたいと思います。

それでは。

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