夏の帰省で気づいた、失われていたもの

全然苦でもなんでもなかったテスト期間も無事終わり、

大学生活2回目の夏休みがやって来ました。

夏休みの開始と同時に実家の群馬に帰省しているのですが、

ちょっと感じたことを書きます。

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実は私の実家は大正から続く豆富屋を経営していて、今は祖父母が切り盛りしています。

久しぶりの帰省ということもあり、縁の下で冷たい豆富に葱と生姜をのせて「風流だなあ。」なんて黄昏ながら食べていたところ、遠くの方から「わっしょい、わっしょい」という声が聞こえてきました。

「お、お祭りかな?」と思い祖母に聞いてみると、今日は地域の子供達がお神輿を担いで地域を回るお祭りの日でした。

そういえば自分が小学生の時もやったなあ、なんて懐かしみながら声のする方に行ってみると、小学生くらいの子どもたちが見えました。

「やってるやってる」と近づいてみると、20人くらいの子どもたちの中心にお神輿が見えました。

しかしよく見てみると、お神輿は子どもたちによって担がれているのではなく、リアカーに乗せられて子どもたちがそれを押して歩いていたのです。

それを見た時に、なんとなく寂しい気持ちになりました。

僕の実家は群馬の田舎の方にあります。

僕が小学生の頃にもこのお祭りに参加したのですが、その当時は子どもが100人以上いて、神輿が数基街中に散らばり、小さな街の中に子どもの元気な「わっしょい!わっしょい!」という元気な声が響き渡っていました。

重いお神輿を担いで肩は真っ赤で汗びっしょり。

友達どうしで「お前ちゃんと持てよー!!」なんてじゃれ合いながら。

道端には近所のおばちゃんたちが冷たい麦茶やスイカを用意していてくれて、

「りゅうくん、暑いけど頑張ってね〜。」なんて声をかけてくれたり。

当時好きだった子にいいところを見せたくて、必死で担いでいた記憶もあります。笑

それから約10年。

街中をめぐるお神輿はたった1基になり、

そこに関わる子どもの数は減り、

お神輿はリアカーに引かれ、

どことなく無理やり参加させられているように見えた子どもたちの顔。

保護者以外の近所の大人はまるで他人ごとのよう。

時代の流れ云々と言ってしまえばそれまでですが、

自分が生まれ、育ててもらったこの場所で

こんな状況がある現実を受け止めなければいけません。

過疎化の進行による地域経済の停滞とかそういう難しい話ではなく、

人としての根底にある幸せ、伝統文化・自然・人に触れる何事にも代え難い幸せや経験が

今の子どもたちに失われているのではないか、そう意味で「寂しい」と感じているのです。

僕はいまNext Leaders Meeting 2013という団体で、本気で社会を良くするために仲間と一緒に頑張っていますが、僕らが目を向けなくてはいけない部分はとても広く、その問題は思った以上に根深いものである。そう感じました。

やることはやりつつ、怒涛の夏休みに備えてもう少しゆっくりしたいと思います。

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