言葉に敏感になるとなんとなく生きづらくなった

なんか最近ものすごく「言葉」を意識するようになました。

いままで全く意識してなかったからでしょうか。

人が発する言葉の一つ一つに対して

「あ、この人こんな気持ちでこの言葉を使ってるんだろうな」とか

「この人良くない言葉を使ってる認識ないんだろうな」など、人の気持ちを汲み取ることを無意識的にしていることが多くあります。

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言葉を観察すると、人の表情の細かな部分までもよく観察するようになります。

発せられた言葉の裏にあるその人の感情とか意図は、言葉にかなり意識するようにすれば意外と簡単に読み取ることができます。

そうしているうちに、自分が言葉を発する時には強烈に受け取り側の事を意識するようになってきました。

人から自分に対して発せられる言葉に対して敏感になるようになってきました。

今まで気にもしなかったことが、とても傷つく嫌な言葉になったりしてきました。

言葉だけでなく、相手の表情にも敏感になり、やたらと人の顔色を窺うようになりました。

すると、なんでだろう、あまり自分から言葉を発することができなくなってきたんですよね。

音としての言葉だけでなく、文字や文章など、視覚としての言葉にも同様の事が言えます。

twitterやFacebookに投稿するときも、最近は投稿する前に何度も何度も書き直したり、一度投稿したものを削除したりしてしまいます。

「この言葉を言ったらこの人はこう思うだろうな」とか、逆に「こういう感情になってほしいんだけど、どんな言葉を使おうかな」とか、自分の中に蓄積された数少ない語彙の中から必死にその場面にふさわしい言葉を選ぼうとしているうちに、会話中に言葉が出なくなってしまうんです。

これは、いずれこの壁を破り一皮むけるためのステップとして良い事なのか、それとも頭の回転が遅くてコミュニケーションをとることが下手くそということで悪い事なのかが分からなくて、どうしたらいいのか分からなくなっています。

要は会話が長続きしない・盛り上がらない状態、俗にいうまさに「コミュ障」の状態ですね。

話はそれますが、この「コミュ障」という言葉一つにしても、最近の人たちは軽々しく使いすぎている気がします。

コミュ障とは「コミュニケーション障害」のことで、日本コミュニケーション障害学会という団体もあるくらい、身体的精神的障害を持っており人とのコミュニケーションがうまく取れなくて、ひどい場合は他の精神的な病を患ってしまう人たちはたくさんいます。僕も、吃音を小さなころから持っているので本当に苦しみました。

人と話すのが少し苦手(人見知り)だから、それはコミュ障というのはあまりにも単純な思考で、本当のコミュニケーション障害を持っている方々を遠まわしに否定しているような言い方だなと個人的に思います。

このように、日常の他愛もない会話でよく耳にする言葉でも意識すれば使うべきでない言葉はたくさんあるし、それによって傷ついてしまう人もいる。

いつも使っている相手を励ます言葉も、もしかしたら相手にとって負担になっているかもしれないし、もう聞き飽きた言葉として聞き流されているかもしれない。

ではどんな言葉を使ったらいいのか

どんな言葉を使ったらより正確に相手に自分の想いが伝わるのか

考えれば考え得るほどドツボにはまり、ついには人に会いたくないという最悪な状態になりつつあります。

言葉に敏感になった途端に、なぜかいままで普通に生活していた環境で生きづらくなってしまったんですよね。

もっと軽く考えるべきなのか、この時期が通り過ぎるのを耐えしのぐべきなのか。

答えを出した時にはおそらく結果論でしかないと思っているのですが、

まあよくわかんないけどそんなかんじで。

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